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2012/10/02AUGUST INTERVIEW

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- 早速ですが、まずバックグラウンドから少し教えて下さい。 トロント出身ですよね。いつ頃からNYへ?

A: 生まれも育ちもトロント。学生の頃から、アルバイトをしてある程度お金が貯まると、すぐ車に飛び乗ってNYへ行っていた。GAPでも働いてたし、サングラス屋でも、映画館だったり、モールにある感じのお店やサーヴィス店のありとあらゆる仕事をした。NYへ行けるだけの資金が貯まると、親父の車を借りて行く。それがルーティーンになってたんだ。僕のミックステープ、『Too Big To Fail』に収録されたカニエのカヴァーというか、彼にインスパイアされた"August's Dark Fantasy"に、そのあたりの全てのストーリーを歌ったんだけどね。そうやって、バイトしては何度もNYへ行った。時には、休みをくれないバイト先は辞めてまで行ったんだ。僕にとってはそれが夢への旅だったからね。NYへ行くと、レーベルのオフィスの前に立って、自分に気付いてくれる人を待ったり、デモをA&Rらしき人に渡したり、そこでミーティングの時間をもらえれば、そのずっと前から行って、周りに人達皆に挨拶し回ってみたり。そうやって今のマネージャー、エリック・ニックスと会ったんだ。レーベルの前にうろちょろして、音楽業界にいそうだと思う人達みんなを追いかけまわしてた時に(笑)。僕の事を変な奴だと思った人もいたと思うよ。1つのオフィスの前に5時間も、6時間も待ってたりするんだから。真冬でも、オフィスの人が通勤してきて、帰るまで、外でジッとしてたんだから。お金だってギリギリだったから、ただずっと座って。時には、道路を渡る人を追いかけて、交通渋滞を巻き起しちゃったり(苦笑)、相手の窓をどんどん叩いて、自分に気付いてもらおうと必死になったり。今考えるとホント、クレイジーでおかしなエピソードばかりだよ。ビルの警備を避けて、侵入して、オフィスのドアを11つ叩いて、自分の音楽をプレイして回ったこともある。時間はかかったけど、結局はいい結果をもたらしてくれたよ。まぁ、そうやって、NYには何度も行ったよ。友達の家に居候数カ月してみたりね。アトランタにも少し住んでたことあるんだ。当時、アトランタで僕のことを信じて、一緒にやろうと言ってくれたプロデューサーがアトランタにいて、僕にとってみれば、どんなチャンスでも試してみたいとは思ってたからね。実はオーストラリアにも1年弱住んでたんだ。楽しかったよ。音楽を出来れば僕にとっては幸せだったから。


- いきなりだけど、今、25歳ですよね。初めて歌を聴いた時、ティーネイジャーかと思うほど高い声にビックリしたんですが・・・。

A: わかるよ。たまに女の子と間違えられることもある(笑)。たぶん、この声のおかげで、ジャスティン・ビーバーに曲を提供できたんだと思うよ。彼の声にちょっと似てるから。アハハ。でもどうしてこういう声になったかわからないんだ。確かに様々なヴォーカル・テクニックを学んだのは事実。パフォーミング・アート・スクールに通ってたんだけど、そこの単位の計算方法がユニークでね。本来なら、数学とか英語とか一般教養も単位をもらわないと卒業できないところを、僕は、音楽の専攻をダブルで取ることが出来た。だから一般教養はやらずに、その分、ミュージカルからクワイア、オペラ、あらゆるスタイルを勉強して、あらゆるタイプのショーを授業の一環として観に行って、身体で吸収していったんだ。僕は子供の頃からポップスを歌っていたし、ポップ・シンガーになることだけを夢見て生きてきたけど、音楽、シンギングの原点を知ることも大切なんじゃないかと思って、その4年間にオペラを勉強したりした。今思うと、最高の選択をしたと思ってる。昔から高めの声ではあったし、歌うと声変わりをしてないような声であったことも事実。でも、少し無理して歌うと完全に喉を痛めてしまうことがしょっちゅうあったんだ。高音も、中途半端な音しか出てなかった。たぶん、僕の声がちゃんとプロとして歌えるようになったのは19歳ぐらいのころかも。オペラを学んで、声の出し方から全ての基本を身につけることが出来たおかげで、今はどんな高音でも楽に出すことが出来る。自然に声が出るようになったんだ。


- どんなアーティストを聴いて育った? シンガーとして、また、ソングライターとして影響を受けたのはどんな人達?

A: 自ら進んで聴いた初めてのアーティストがマイケル・ジャクソンだった。彼の声にとても憧れてたよ。彼のスタイル、彼の全てに。それにスティーヴィー・ワンダー。ジョデシィも。イン・シンクが出てきた時の、あのジャスティン・ティンバーレイクの声には参ったな。他にもたくさんいるけど、シンガーとしては特に彼らだね。ソングライターは、ベイビーフェイス。ビートルズも好きだよ。最近では、ブルーノ・マーズ、クロード・ケリー、リル・エディ、尊敬する素晴らしいソングライターは大勢いる。彼らからたくさん学んで、少しずつでも自分が成長出来たら嬉しいよね。


- 子供の頃からシンガーになりたかったようだけど、ソングライターとしてはいつから自分で曲を書き始めたの?

A: 正直、ソングライターになってる自分は想像したことがなかったんだ。ずっとシンガー、アーティストである自分だけを想像して生きてきた。正直、ソングライターって職業があったことすら長い間しらなかったんだ。アーティストはみんな自分の曲は自分で書くんだろうって思ってたから(笑)。15歳ぐらいの頃から、自分で初めて曲を書いたのは。自分の夢を叶えるには、そこに辿り着くまで必要だと思うことは必ずやるようにしてきた。もちろん、それをサポートするために、バイトしたりしたけど、どんなに辛くても、シンガーになるという夢だけは色褪せなかった。そのために曲を書くことが必要だと思ったからやり始めた、という感じ。


- 楽器はなにか演奏します?

A:  ピアノとギター。それにあまり上手くないけど、ドラム(笑)。 ピアノはまぁまぁだと思う。曲はギターを使って書く。ドラムは趣味でさ。LAにドラム・ルームがあって、そこで叩きまくるんだ。ヘタでも(笑)。それが今楽しくてしょうがない。実はDJにもなりたいって密かに思っててね。もちろん、全然上手くないんだけど(笑)。ジミ・ヘンドリックスになりたいとか!!彼はあまりにも偉大すぎて無理だろ?アハハ。でも本当に、ジミ・ヘンドリックスにはハマりまくってて、DVDを全部観まくったり、スカーフ巻いたりして、彼の真似してみたり。彼だけじゃなくて、MJもそうだけど、彼らのような伝説的アーティストからは学べることがたくさんある。ジミヘンのギター、最高だろ?やっぱり最高なものから吸収してかなきゃ。


- あなたにとって、これがプロとして最初のブレイクだったんだ!というのはいつ、どんなことでした?

A: マネージャーに出会ったのがブレイクだとは言えるけど、とにかく、1つのことが決まった途端、全てのことがアッと言う間に進んで行った。まず、エリックが僕を家においてくれたんだ。たくさんのプロデューサーやライター達が出入りする家で、そこでソングライターとして自分を磨いていったんだよ。トラックマスターズや彼ら周辺の人達と一緒に仕事をするようになったのもその頃。そして、初めてメジャーで起用された僕の曲はIyaz"Solo"だよ。それがメジャー・アーティストに提供した最初の曲。というのも、トロントでは、地元のアーティスト達に曲は提供したりしてたから、プロとして初めてってわけではないけど、残念ながら彼らはトロントやカナダ以外でまだ活動してないからね。カナダで活動しようとも思ってたけど、どうしてか上手くいかなかった。だからずっとNYへ通い詰めたんだと思う。才能はあるからチャンスだけ。そう思ってた。Iyazのすぐ後に僕の曲が起用されたのがジャスティン・ビーバーさ。どういうイキサツでそうなったか詳しく話すと・・・。エリックから連絡があって、LAリードに会いに行くってことを聞かされた。デモの曲を聴かせるだけだと思ったんだけど、その日はエリックから、いつもちゃんとした服装はしてるけど、今回はアーティストに見えるような格好をするように、って言われたんだよね。それで、深くは考えず、レザー・ジャケットにブーツってスタイルで行ったら、デモを聴いてLAリードが、まず、<この曲はジャスティン・ビーバー用に欲しい>って言われたんだ。その直後に、今度は、<このデモは誰が歌ってる?>って。自分だと言ったら、<アカペラで歌ってみろ。その服装からしても、アーティストなんだよな。だったら歌ってみてくれ>って。そして歌い始めたら、ちょうど真ん中あたりで、LAが僕を止めたんだ。<マジソン・スクエア・ガーデンで歌ってるかのように歌ってみろ。俺を感動させてくれ。そうだ、イイ考えがある>と言って、彼のスタッフ全員を部屋に呼んだんだ。そして僕は全員の前に歌ったんだ。その場で契約とはならなかったけど、僕はLAリードと会って、彼が僕の曲を気に入ってくれて、彼とスタッフの前で歌えた、ってことだけで満足してたんだ。僕はLAへ行って、曲を書いたりしてた中で、結局はソングライターとして正式にジャスティンに曲を提供することになった。そしてNYへ帰ってから、またLAリードとジャスティンの作品についてミーティングをしてて、話が終わったから帰ろうとしたんだ。そしたら、彼が、<どこに行くんだい?誰も何も言ってなかった?キミと契約したいんだ。デフ・ジャムに来てくれるかい?>って。僕は泣きそうになったよ。その時、マネージャーが僕の耳元で<今泣いたら、後で俺がもっと泣かしてやるからな>って(笑)


- ということは、今もデフ・ジャムとアーティスト契約してるんですよね。でも、日本のマンハッタンからアルバムを出すというのはどういうイキサツで?今作にはミックステープからの曲も数曲収録されていますが、日本のためだけの特別企画ということ?

A: そう、ミックステープからも数曲収録したし、このアルバムは日本独占だよ。デフ・ジャムから発売するアルバムは『Planes, Trains and Automobiles』ってタイトルになるんだけど、まだいつ発売するかは決定していない。これから本格的に制作にかかるような感じだね。メジャーと契約してて、どうして日本独占で作品を発表したいと思ったかというと、やっぱりメジャー・レーベルは彼らのタイミングでしか動かないし、マンハッタン・レコードは僕が音楽をやっている意味や理由を本当に理解してくれた。自分が音楽的にどんな方向性でやっていきたいかも含め、全て理解して、サポートしてくれたんだ。僕はやっぱり多くの人達に自分の音楽を楽しんでもらいたいし、求められてるのに無視なんて出来ないよ。こういう形で、今の僕の集大成を発表するにはタイミング的にも完璧だった。マンハッタンから作品を発表したリル・エディとも僕は仲がいいから、マンハッタンの人達がどれだけ音楽を愛して、いつもポジティヴなことをやってるのをよく知ってたから、安心して任せてみようって思えたんだ。アーティストとして、毎日、曲を書いて、プロデュースして、歌って、自分のペースでやり続けていきたいと思ってる。最近では歌うことより、ソングライター、プロデューサーとしての仕事が多くて、自分がアーティストとして歌うことが恋しくなってたんだ(笑)。だから、今回のプロジェクトは、そんな僕の想いと周りの状況、あらゆることがタイミング的にピッタリ一致した結果なんだよ。


- ここまで話を聞いていると、あなたが様々な音楽に影響を受けて、それを自分なりに取り入れながら自分の音楽を作っている思いますが、自分で自分の音楽を説明するとしたら?

A:  ジャンルとして<これだ>と名指しするのは難しいかもしれない。僕はアーバン・ミュージックを聴いて育ってきた。アーバン・コミュニティで育って、アーバンR&B、ヒップホップ、それ以外にも、ポップス、ロック、レゲエを聴いてきた、シカゴとかジャーニーも聴いた。レゲエに関しては、みんながビックリするくらいのレゲエ好き。自分があらゆる音楽を好きだから、自分はこういうタイプの音楽だけするんだ、ってことはやっぱり言えないんだよね。ぶっちゃけて言えば、僕は音楽だけやっていければいい、ってタイプでもない。音楽は大好きだし、自分の仕事。でも、音楽以外にも、ファッションやアート、クリエイティヴなこと全てに興味もあって、音楽にもそういう面が反映されてしまう。カントリー・ミュージックだってやってみたいと思うんだ。カントリーは大好きだよ。だから、そういう要素も含まれている。音楽って自分の気分に合わせて人が選ぶものだと思ってるんだ。例えば、自分の気分を絶対に盛り上げてくれる究極の1曲ってみんなあると思うんだ。僕のを聴いたら笑うよ。ボーン・サグスン・ハーモニーって覚えてる?"Crossroads"って曲あったろ?それとジョデシィの"Love U 4 Life"。マイケル・ジャクソンの"Billy Jean"それに、ホイットニー・ヒューストンの"Greatest Love Of All"とかね。そんな風に、音楽で気持ちって変わるよね。自分でもそれを実感してるから、自分が提供する側に立ったときには、こういう音楽だけやる、とは言いたくないんだ。1人でも誰かが僕の音楽を聴いて何かを感じてもらえるならそれでいい。今回のアルバムにも、タイプの違う曲が収録されているけど、実は、それぞれどこかでつながっていて、1つの作品として<輪>を作ってる気がするんだ。僕の歌い方だったり、曲の書き方なのかもしれないけどね。それぞれの曲に個性がありながら、まとまってる。みんなもそう感じてもらえたら嬉しいな。愛を込めて作った作品だし。


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- 曲は主に実体験からインスピレーションを受けて書いたりするの?

A: そうだね。詳細部分は変えたとしても、自分が経験で感じたことはそのまま表現するようにはしてるし、もちろん、イマジネーションを使わなきゃいけないこともある。大胆に映画を作っていくような感じでね。友達が何か話してたこと、感じてたことからインスピレーションを受けたりね。例えば、"You're With Me"って曲は、ソニー・パブリッシングの社長夫婦とディナーに行く機会があってね。奥さんが、2人の初デートの時の話をしてくれたんだよ。デートで食事の後、彼女が去ろうとしたら、彼が<どこへ行くんだよ?>って訊いたらしいんだ。そこで彼女は<電車に乗って帰るのよ。そのほうが早いし安いから。>って答えたんだ。そしたら、<キミはもう二度と電車に乗らなくていいんだ。僕といるんだから(You're With Me)。僕が守ってあげるから>って。その話を聞いて、あの曲が生まれた。何か恋愛ストーリーがあったら、教えてよ。そしたらそこから曲作ってあげるから(笑)。いつでもインスピレーションは歓迎だよ。


- じゃぁ、今度ゆっくり別の機会にでも(笑)

A:  いや、冗談じゃなく本気で(笑)。実は今も、友達が元カノとやり直したいからって曲を頼まれてね。彼女の誕生日にプレゼントしたら、彼女は号泣だったらしいよ。まだ完全にヨリを戻したかどうかはわからないけど、感激してくれたらしいから。そんな風に人の為に書くの、楽しいんだ。


- ソングライターとして、ヒット曲を書く自分なりの秘訣はなんだと思いますか?

A:  秘訣があるかどうかわからないけど、キャッチーなメロディは大切だと思う。それと、最小限の言葉で表現すること。物語を語る時、ダラダラと話をするより、簡潔でわかりやすいほうがいいよね。曲も同じなんだ。最小限の言葉で最大限のメッセージを伝える。今は、全てが便利な時代になったよね。何か欲しければすぐ買える。車の中からだろうが、ジョギング中だろうが、興味を持ったら、それをすぐに調べたり、購入したり、観たり、あらゆることが瞬時に出来るようになった。ということは、人の興味を一瞬で引くことがこの時代には大切なんだってことだと思う。シンプルなほうが興味を持ってもらえることがある。それに、イイ曲はイイ曲だし、タイミングがよかったからヒットになるってこともある。だけど、大切だと思うのは、安定したメロディ、万人の人が理解出来て、たくさんの人が共感出来るようなシンプルで良いストーリー。その2つは最低限かな。


- 実はあなたの経歴を調べていてちょっとビックリしたのは、ミュージック・ソウルチャイルドの『MusiqInTheMagiq』では、ソングライターとしてだけでなく、エグゼクティヴ・プロデューサーとしてもクレジットされてますよね?これはどういうイキサツで?

A: 実は面白い話でね。実際にこの業界で地道ながらも活動してないと起こらなかったことでもあると思うんだけど、、、僕は昔から彼の大ファンでね。トロントで自分がショーをやるような時も、全曲、ミュージック・ソウルチャイルドでやったこともあったほどなんだ。それほど彼の曲は聴きこんでたし、自分でも歌い込んできたから、彼に曲を提供できるかもしれないって聞いた時には、絶対に大丈夫だって思ったんだ。彼を(アーティストとして)知りつくしてたんだから。彼の為に1曲書いたら、すごく気に入られて、何曲も求められることになった。ジャスティン・ビーバーの"U Smile"を一緒にやってから、ジェリー・ワンダ(フージーズ)と一緒にスタジオに入ることも多かったし、なんとなく一緒に曲を作り続けてたって感じもある。最終的には、僕が書いた曲がアルバム全体の構成や方向性を決める鍵になったみたいで、彼らがエグゼクティヴ・プロデューサーのクレジットをくれることになったんだ。すごく嬉しかったよ。ミュージック・ソウルチャイルドは大好きだし、彼には強い影響を受けてきたから、本当に幸せだと思った。


Q. "SayIDo"とかすごくイイ曲でしたよね。

A: 実はその"SayIDo"が僕が彼に最初に提供した曲なんだよ。僕も大好きな曲だよ。"Silver&Gold"も好きだけど、"SayIDo"は、彼に起用されるかを決める曲だったから、ドキドキしながら書いた思い出深い曲でもあるんだ。


Q. アーティストとして、最初に発表したのは、先ほども話が出ていたミックステープ『Too Big To Fail』ですよね。今回のデビュー作にもそこから数曲収録されていますが、そこではカヴァーを2曲やっています。1曲はジャスティン・ビーバーに提供した"U Smile"のセルフカヴァー。それはなんとなくわかるのですが、もう1曲がリル・ウェインの"How To Love"で、この曲は実はジャスティンがリミックスして発表してちょっと話題になった曲でもありますよね。なぜあなたがこの曲をカヴァーしようと思ったんですか?

A:  "How To Love"を初めて聴いた時、本当にビックリしたんだ。リル・ウェインが歌ってる!って。すごく気に入って、自分で買って、何度も聴いて、カヴァーしようって思ったんだよ。不思議なのが、ジャスティンもカヴァーしてるなんて全然知らなかった。確か、ほぼ同時に発表したと思うよ。本当に偶然だった。Youtubeで観てビックリしたんだから(笑)


- さて、日本デビューのアルバム『Music Of My Life』ですが、錚々たるプロデューサーを迎えた作品になってますよね。

A: そうなんだ!すごく良いラインナップだろ?本当にラッキーだと思ってる。彼らと一緒に曲を書くことが出来て、クリエイティヴな関係になれたのは本当に嬉しいことだった。ステレオタイプス、ボイ・ワンダ、ザ・ラナーズ、ダ・インターンズ、もう素晴らしい人達が一緒に作品を作ってくれたことに感謝してる。今まで地道に様々なところで曲を書いて来て、そこから才能豊かなクリエイター達と繋がって、今に至ってる。幸せなことだよ。


- 何組か、新しいプロデューサー達も起用してますよね。

A: ダニエル・スピンズ・フォレストはトロントのプロデューサーで、78年前からの知り合いなんだ。でも、去年まで実際に会って一緒に曲を書いたことはなかったんだけど、素晴らしい才能の持ち主だろ?これから彼の名前をもっと聞くことになると思うよ。J.N.I.C.E.10年ぐらい前からの知り合いなんだ。実は僕のNYの友達の弟でね。僕がお金を貯めてNYに通っていた頃、彼の兄貴で僕の友達が泊まらせてくれたり世話してくれた。アトランタに引っ越した時も、彼がアトランタまで運転して連れてってくれて、あっちでの生活が落ち着くまで何日か一緒にいてくれたんだ。下積み時代からの仲間さ。AUTOMATIKSも新しいプロダクション・チームなんだ。僕のマネージャーのエリックがマネージングしてるんだ。彼らのサウンドを聴いたら、すごくよかったから起用した。彼らのビートで書いた"Geronimo"は僕の中でも最高の曲の1つに仕上がったと思ってるんだ。実は今日も一緒に曲を作ってたから、また彼らの曲は耳にすると思うよ。


- これまで一緒に仕事をしてきたプロデューサーからどんなことを学びました?この人のこういう部分にはビックリした!というエピソードはありますか?

A: それぞれ素晴らしい才能の持ち主で、それぞれからいつでも新しいことを吸収させてもらってる。でも、その中でも、ステレオタイプスからは、クルーとして、一緒に作品を作っていくということを教えてもらったよ。音楽を一緒に作り上げている。1人だけの負担が大きくなったりするのではなく、3人が絶妙なバランスでクルーとして曲を作り上げていく。素晴らしいな、と思ったよ。ボイ・ワンダからは、フィーリングの大切さを学んだ。彼は奢りがなくて、謙虚で、仕事にも忠実で、人としても尊敬出来るよ。最初に彼と一緒に仕事をした時は、彼がわざわざ僕の家まで来てくれたんだ。ザ・ラナーズからは、仕事に対する熱意。本当に誠心誠意込めて、何時間も仕事し続けるんだ。すごいよ。それと、スターゲイトともよく仕事するんだけど、彼らからは本当にたくさんの事を学んでる。ヒット曲とは何かもそうだしね。曲をどう組み立てるかとか、良いものを最高のものにする方法とかね。これからも、新しいプロデューサーと仕事をするたびに又何か新しいことを吸収出来るんだと思ってる。それが楽しみでしかたないんだ。そして自分もソングライター、プロデューサーとしてもどんどん成長していきたいと思ってる。たくさんの人達と出会えて、仕事が出来ることは本当に幸せなことだね。


- バスタ・ライムスも参加してますが、この"Here Comes Trouble"もアルバムに収録されている他の曲とはカラーが違いますよね。

A: そうだね。ラナーズと一緒に作ったんだけど、ポップっぽいことは間違いないね。バスタが参加してくれて本当に嬉しかったよ。これもタイミングが全てだってことを教えてくれた曲なんだけど、この曲が出来て、マネージャーに聴かせたんだ。ちょうど、バスタがクリス・ブラウンの曲("Look At Me Now")に参加して話題になってた頃さ。実はマネージャーのエリックとバスタは元々仲が良くて、2人で彼の話をしてて、エリックが、<バスタがまた注目されるようになって本当に嬉しいぜ>って言ってたんだ。それで、僕が、彼に参加してもらうことは出来ないか言ってみたんだよ。それから24時間後、バスタから連絡があって、ちょうど6時間後にはヴェガスからLAに到着するから、LAのスタジオに来れるなら、レコーディング出来るって。それで僕はすぐに飛行機に飛び乗って、寝て、LAの空港に降り立ったら、バスタと待ち合わせのスタジオの住所が電話に送られてきた。全てがスムースになるべくして起こった感じなんだよ。それに、NYに戻ってから、バスタから連絡があって、本当にその時録ったヴァースで気に入ったか確認してくれたんだ。すごく気に入ってはいたんだけど、もう少し早いバスタのラップが欲しいなとは思ってたから、正直に話したら、すぐに喜んでやり直してくれた。<ポップス寄りのほうがいいと思ってやったけど、スピード・ライムが欲しきゃ、お前の為に喜んでやるぜ>って。すぐやり直してくれた。最高だよ。そこまでしてくれる必要はなかったのに、彼からそうやって手を差し伸べてくれた。


- ちょっと脱線しますが、D-Pryde"Big Shot"という曲で一緒にコラボしてますが、彼はあなたの本当の弟?

A: いやいや。弟みたいな存在だけど違う。僕はひとりっこなんだ。でも彼が13歳ぐらいの頃から知ってるんだ。さっきも話したように、僕はカナダでインディー作品をたくさん出してた。彼は当時新人ラッパーで、僕のショーに来て、彼のCDをくれたんだ。彼はラップして歌ってた。今では色んな人がやってるけど、何年も前のことさ。彼は怒りを心に秘めたようなキッズだった。そんな風に色んなアーティストからCDを受け取るけど、彼のことは本当に凄いと思ってね。でも、ちょうど僕はNYとトロントを行ったり来たりしてた時でタイミングが合わなかったんだけど、1年半後ぐらいかな。一緒にスタジオに入ってコラボしたんだ。

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- もし訊いて失礼じゃなければ教えて欲しいんですが、あなたのルーツは?

A: フィリピンだよ。フィリピン系カナダ人。


- 実際にトロントに行ったことはないですが、アメリカとは違って、カナダは人種に関してはとてもオープンマインドですよね。そんな環境で育ったあなたが、NYへ渡って、実は日常社会よりも、<人種>に敏感なアメリカの音楽業界の中で活動することに対して、戸惑いや難しいと感じたりすることはありませんか?

A: 僕も音楽業界に入るまで、自分はこういうタイプの音楽をやって、こういう歌い方をするのは自分だからで、人種なんて問題にならないと思ってた。でも、入ってすぐに気付かされたよ。肌の色がどれだけ音楽業界の中で重要視されるかということを。普通は、ラジオでイイ曲が流れてきたら、これは白人?黒人?アジア人?なんて考えないで、イイ曲だから買いに行こうって思うよね。音楽業界にいる人は、肌の色は関係ないって口では言うけど、実際に、最も重要視される要素の1つだってことは痛い思いをして教えられた。すごく矛盾してるけどね。僕がアジア人だから、僕に対する期待が低かったのも事実だよね。R&B、ポップスをやるとは思ってない。何人か今までもやってきたけどね。ただそんな状況と戦わずに、ただ自分がやれることをやって、彼らが間違っていることを実際に証明していくしかもうないと思ってる。自分の才能で理解してもらうしかない。同時に、みんな僕がここまで出来ると思ってないから、何倍もの衝撃を与えられるのも事実で、それは逆にありがたいと思う。僕は僕だと証明していくしかない。今はそういう人種の偏見に耐えながら頑張ってる仲間もいるしね。ブルーノだってそう。ファーイースト・ムーヴメントもそう。辛い思いをしたことがないとは言わない。でも、自分は自分だと信じてやっていくしかないと思ってるんだ。他の人の考えや信念は変えられないから。でも、僕は自分の才能を100%出して、成長し続けていくことだけを考えてやっていくしかないよね。


- 今回のアルバムの中で、最も今の自分を反映している曲は何だと思いますか?最も気に入ってる曲でも構いません。

A: 絶対に訊かれると思った(笑)。参ったな~。でも、僕がどの曲を一番お勧めするかってことをファンの人達に知ってもらう為だろ?だったら、頑張って選ぶよ(笑)。そうだな、、、"You're With Me"だね。今はロマンティックな気分で、自分の愛する彼女を大切にしたいって気持ちに溢れてるから。  あとは、"Music Of My Life"だな。僕と音楽の関係は、愛する人に匹敵するから。だからアルバムのタイトルにもなってる。(註:<僕の人生の音楽>という訳も出来ますが、人生で最愛の人という表現<Love of my life>をもじったものがタイトルの意)。僕にとっての全てさ。それと、"Songs About You"も好きだよ。恋をしたら、その子が恋しくても、大好きでも、ケンカしてイラついてても、大嫌いになっても、曲を書く。それが僕だから。好きな人が出来ると、必ずその子の曲が出来るからね。曲を書くことが出来るのって、本当に楽しいよ!何もないところから、1曲完成してしまうなんて、自分でも凄いと思うよ。可能ならば、1曲を作り上げるプロセスで僕の脳がどうなってるか写真を撮ってみたいくらいさ。絵描きの人や彫刻家は想像の中だろうがヴィジュアルで見えるものを形にしていくだろ?でも音楽は、そうやってヴィジュアルで見えるのではなく、聞えてくるもので、それを形にするプロセスって本当に不思議だよね。


- ソングライターとしても成功し続けいて、アメリカではデフ・ジャムと契約し、日本でデビューもして、活躍の場を着々と広げて行っているわけですが、あなたにとって次の目標は何でしょうか?

A: この音楽業界に強烈なインパクトを与えたいと思う。オーガストという名前が最高の音楽を提供するソングライターでアーティストだと知られたい。数年以内には、世界をツアーして回りたいし、アルバムもコンスタントに出し続けていきたいよね。3年後に3枚目の作品を出せる状況になってたたら、成功したと言えるよね。そうなっていたい。


- 音楽的にチャレンジしたいことは何かありますか?結果やコストは無視で、願いとして。

A: いつか、アルバム全曲自己プロデュースで出したいな。コラボレーターはいるかもしれないけど、全曲、自分で手掛けた作品を出したい。それと、何かは今は浮かばないけど、新たな楽器にチャレンジしたい。ピアノ、ギター、ドラム、それにもう1つ演奏出来るようになったら楽しいだろうなと思うよ。


ところで、オーガストって本名なの?

A: そう。ダン・オーガスト・リゴが本名なんだ。子供の頃は自分の名前が大嫌いでね(笑)実は祖父がつけてくれた名前なんだけど、彼の名前がガストで、僕が8月に生まれたから、ミドルネームがオーガストになったんだ。みんなにからかわれて、本当にイヤだった。地元の友達はみんな僕をダニーとかディーって呼ぶんだけど、この業界に入って初めて、オーガストって名前カッコイイって言われたよ(笑)。そうそう、アッシャーの"Climax"を書いたレッド・スタイルズは僕の親友の1人なんだけど、彼がトロントに来たんで、友達のパーティーに一緒に行ったんだ。そこでみんなは<ダン>の話をしてたんだ、つまり、僕の話をね。そしたら、彼が、<ちょっと待って、ダンって誰だよ?>って。みんな、<悪い、悪い、オーガストのこと>って笑い話があってさ。みんなそれでからかうんだ。子供の頃とは逆だよね(笑)。実は他のステージネームを考えようとしたんだけど、オーガストでいいかなって最近思いなおした。それに、祖父は数年前になくなってしまったけど、今はオーガストと名付けてくれた祖父に毎日感謝して生きてるよ。


- 日本に来てショーもして下さいね。

A: もちろん!さっきも話したように、ソングライターになろうとは思ってなかったけど、それがキッカケでこの業界に入って、それがキッカケで自分の声を知ってもらえるようになって、歌うことが出来ている。アメリカで契約してレコードが出せればと思っていたけど、日本でこうしてアルバムを出すことが出来るなんて夢にも思ってなかった。だから、何でも可能だということだよね。実感してるよ。それに、とにかくショッピングが大好きだから、東京に早く買い物しに行きたいよ。スニーカーも限定のが売ってたりするんだろ?実は僕の友達がガガのギターリストで、この間東京で買ったっていう最高にドープな革ジャンを見せてくれてさ。どこだって言ってたかな・・・?そうそう、原宿!!早く行ってみたいよ。実は僕の従姉妹が日本で1年英語を教えてたんだ。だから彼女も色々教えてくれてる。もう行く気満々なんだ(笑)。それにしても、そんなことを楽しみにする自分を1年前は想像もしてなかった。自分が大好きなことをやって、それで家族を養えるだけでなく、今まで行ったこともない場所に行けるかもしれないって想像することが出来るだけでも幸せだよ。昔は自分でお金を払って歌わせてもらってたんだから!ショーをするにも、300ドルしかなくても、自分でサウンドエンジニア雇って、ギタリストやピアニストを雇って、残りのお金をショーに来てくれた友達にご馳走しながら歌ってた。それが今、僕はこうして日本の人達に自分の音楽を届けることが出来るなんて最高だよ!本当に僕は幸せ者だと思う。どんなに才能があってもチャンスを与えられない人だっているわけだから。日本でみんなの前で歌うのを楽しみにしてる!



Interviwer: Kana Muramatsu


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