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2013/09/27Beppe Loda Interview & 2013.10.5 FRI secretbox vol.2 @zero

beppe_loda_interview.jpg 彼なくして、イタリアのディスコシーンを語ることは出来ないと言われるイタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ、Beppe Loda。北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的なクラブ"Typhoon"や"Cosmic"のレジデンツとして君臨し続け、アフロムーヴメントを興した中心人物だ。そのBeppe Lodaが9月27日よりジャパンツアーを敢行するにあたり、インタビューを行った。

Interview: Yoko Shibuya (BASE,ltd./ Zero)
Supported by Voices Agency


俺のアイディアっていうのは、みんなを踊らせることはもちろんだけど、「新しい音楽の文化」を、みんなとシェアするってことさ。

beppe_loda_interview_p1.jpg ―まず最初に、あなたのDJキャリアを教えてください。

俺の40年のDJキャリアを全部話すとなると長くなるな。それじゃあ、俺のキャリアの中で、まずDJをスタートとした時から"Typhoon"のクローズまでの話をするよ。

それは1987年のことだね。1973年の後半から74年の初めにDJのキャリアをスタートしたんだ。最初にプレイしていたのは、ロック、ソウル、RNB&FUNKYだったんだけど、76年くらいから新しくリリースされたレコードを追いかけ始めたんだ。それはユーロディスコだったり、イタリー、フランス、ドイツ、カナダからリリースされたものを、常にチェックしていたね。その時の話で、いつも衝撃を受けていたのが、モロダータイプの音楽とスペースディスコだったよ。例にあげると、Space、Rockets、あとItalian Celso Valliのプロダクションや、ちょっと変わった7インチなんかにも、あの当時は衝撃を受けたな。
その後に軍隊での経験があってさ。それが終わって、俺はまたDJに戻ったんだ。けれどその時は、まだユーロディスコなんかをプレイしていたんだけれど、俺は常に新しい音を求めていたんだ。兵役から帰ってきた頃から、新しいジャンルの音楽も、積極的に織り交ぜてプレイするようになって、アフロディスコ、フュージョン、サイコソウル、サイコファンク、ニューウェイブ、インタストリアル、ポップ、あとクラウトロックの中でも、よりロックティストな音が、フロアにいるみんなを踊らせていたね。

俺が、クラブ"Typhoon"のコラボレーションの中で生み出していったアイディアって言うのはさ、ドイツなんかからも来ていたよ。70年代の終わりと80年代の初め、イングランドからニューウェイブが世の中に表れるまでは、新しいエレクトロニックのほとんどは、ドイツから来ててさ。あと1892年の半ば、俺はパーカッションの学校に通ってアフリカンリズムを勉強したんだ。その時から、俺は自分のDJセットを3分割してプレイするようになった。

まず最初の1時間に、ロック、ポップ、エレクトロニック、ニューウェイブ、インダストリアルなんかをプレイして、次にアフロ。そして最後に、自由に何も考えず、フリースタイルでプレイしていたよ。

1984年に、いったん"Typhoon"を離れて、"Cosmic"で11月の終わりまでプレイしたよ。"Cosmic"では、自分のスタイルを少し変えてプレイしていたね。1985年に、また"Typhoon"に戻ってきて、 1986年くらいは、ラテンジャズや、チカーノミュージックに、フュージョン、初期のアシッドジャズなんかを織り交ぜてプレイしていたね。そして、1987年に"Typhoon"は、クローズしたんだ。いい終わり方だったよ。


―あなたがDJをやろうと思ったきっかけは何ですか?

音楽を愛してるからさ!!


beppe_loda_interview_p2.jpg ―伝説的なクラブ"Typhoon"で、レジデンツDJをされていた時の話を聞かせてください。

Manerbioっていう、小さい村での話なんだけど、そこに俺は、洋服を買いに行ってたんだ。その洋服屋のオーナーっていうのが、俺のDJスタイルや、俺のやりたいことにすごく興味をもってくれてさ。彼とはクラブや音楽のことをいろいろと長い時間話をしたんだ。それで、まずは一緒にパーティーを始めることになってね。"The Kinky Club"っていう、小さいクラブで最初やったんだけど、それが大盛況だったんだ。何年後に彼が新しいクラブをオープンするってことで連絡が来て、それが"Typhoon"さ。俺が"Typhoon"のサウンドシステムを選んだり、俺の身長に合わせてDJブースを作ってくれたんだ。


―イタリアでは、"Cosmic"も"Typhoon"と並ぶ、伝説的なクラブといわれていますが、あなたは両クラブでプレイしていましたよね?あなたにとって、どういうイメージですか?内装やサウンドシステムなど、箱に関する1番の違いは、何だと思いますか?

まず最初に、他のDJやクラブに対して、リスペクトの気持ちを持って話させてもらうよ。ポジション的に俺は、Conrad Schnitzlerや、Steve Reichみたいなアーティストだったんだ。サウンドシステムは、実は、ほとんど一緒だったんだ。唯一、大きな違いはターンテーブルが違ったくらいかな?クラブの中の内装を、イタリアの70年代のファッションで空間を作ったりすることを、みんな「Cosmic」って、呼んでたよね。74年にもっとも有名なディスコの1つだった"L'altro Mondo Studio"っていう箱があったんだけど、クラブ"Cosmic"は、"L'altro Mondo Studio"にイスパイヤーされて作ったものさ。"Typhoon"は、ディスコテックよりも、もっと文化的な要素を持ってたクラブだったね。例えば、内装をデザインしたやつは、映画監督のFederico Felliniと一緒に仕事をしていたし、DJセットに関してだけど、俺のアイディアっていうのは、みんなを踊らせることはもちろんだけど、「新しい音楽の文化」を、みんなとシェアするってことさ。


beppe_loda_interview_p3.jpg ―"Typhoon"が伝説的なクラブと言われ、イタリア国外からも、たくさんの人が押し寄せる人気クラブになったのは、何でだと思いますか?

"Typhoon"は、Garda湖からそんなに遠くなくって、ホリデーシーズンになると国外から多くの人がやってきたんだ。俺が作ったミックステープが、移動距離に聴くには最適だったんじゃないかな。オーストリア、ドイツ、オランダ、スイスから来るやつらは、みんな俺のテープを持っていたね。


beppe_loda_interview_p4.jpg ―ディスコだけではなく、オールジャンルを織り交ぜ、プレイするDJスタイルを確立されたのはいつ頃ですか?

78年、兵役から帰って来た時だな。

beppe_loda_interview_p5.jpg ―みんな、あなたのことをアフロシーンの創始者と呼んでいますが、アフロミュージックを一言で言うと?

そうさ、俺だよ、その通りさ。まず「イタリアンアフロ」は、音楽のジャンルでは無い。けど、それは箱のようなもので、その箱っていうのは、昔、いろんな音楽の種類を入れたものでさ。その中に入ってる音楽っていうのは、全てアフリカからのリズムを持ってるものさ。

例えば、ブラジル (Also afro/Brasil)、 キューバン (Afro cuban)や、ジャズティストのフュージョン (Afro jazz)、アフロファンキーなんかが、そうかな。


―現在DJプレイで使用している機材は何を使ってますか?

通常はパイオニアのCDJを使ってるよ。なぜなら自分でたくさんエディットをしているからね。


―DJをする際、何か心がけてることはありますか?

あるよ!常に頭の中にあるのは、DJとしての本物のセンス。それは、一晩中クラウドを踊らせなきゃいけないセンスのことだよね。それができなかったら、俺は"Harakiri"するしかないな。


―今現在どれくらいのレコードを所有しているいますか?また、レコードはどうやって管理していますか?

今は15000枚以上かな。ジャンルと、アルファベットで、図書館みたいに整理してるよ。


―あなたはこれまでに、いろいろな国でDJをされてきたと思いますが、1番印象に残ってる都市、パーティーもしくはクラブはありますか?

自分がプレイしてきた国や、都市、パーティー、クラブは全部良かったけど、中でもベストだったのが、ロンドンの「The Lasermagnetic」のパーティーかな。次は、ベルギーのゲントの"White cat"、マドリッドの"Wonky"、ドイツの"Salond Des Amateur"、"Pudel Club"や、ベルリンの"Humboldthain"、デンマークの"Harvey's Club"とか、まだまだたくさんあるかな。 日本のクラブやクラウドが、すごくいいって言う評判を聞いてるからすごく楽しみだな。


―尊敬しているアーティスト、影響を受けたアーティストはいますか?

たくさん、たくさん、多過ぎるね!Francesco Boscolo、Vangelis、Moroder、ドイツのアーティスト、その他にもたくさんいるよ。


―現在あなたは、レジデンツパーティーは持っているますか?

たくさんレジデンツを持ってるけど、その殆どがイタリアだね。


―最後に、日本のファンにメッセージをお願いします。

親愛なる日本の人々へ。
おばあちゃんを家に残して、みんな、俺のパーティーに遊びに来い。しかも、みんな、下着一枚で来てくれ。
Beppe Loda、地球で1番ハンサムなDJより



- Beppe Loda Japan Tour 2013 -

9月27日(金) 鹿児島@R°
9月28日(土) 神戸@Troop cae
10月5日(土) 東京@ZERO
10月6日(日) 神奈川@Oppa-la

■Beppe Loda -- Spacedisco Age Vol.1
http://www.theitalojob.com/2013/09/beppe-loda-spacedisco-age-vol-1/

■HMV
http://www.hmv.co.jp/artist_Dj-Beppe-Loda_000000000364385/item_Spacedisco-Age-Vol-1_5547345



beppe_500.jpg EVENT INFO
O presents...
secretbox vol.2 feat Beppe Loda
日時:2013年10月5日(土) 22:00
会場:0 Aoyama Zero
東京都渋谷区渋谷2-9-13 AiiA ANNEX Bld. B1F
料金 Door 2,500円(1D) / w/Flyer 2,000円(1D)
出演:
【DJ】
Beppe Loda
Chee Shimizu
Free Disco


お問い合わせ:
0 Aoyama Zero
TEL:03-3797-9933


beppe_loda_500.jpg
Beppe Loda

アフロシーンの創始者。 北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的DJ。Beppe Lodaなくして、イタリアのディスコシーンを語ることは出来ない。全盛期"Typhoon""Cosmic"のレジデンツとして君臨し続け、"Afro"ムーヴメントを興した中心人物だと言えるだろう。

イタリアの工場都市Bresciaで、DJ Beppe Lodaは生まれた。1973年、彼は北イタリアManerboでDJとしてのキァリアをスタートする。 1980年まで、Le Cupole Di Maeribo, Bisi & Good Moon のレジデンツDJとしてプレイし、その頃からAfrican origin, Fusion, Jazz, Brazilian, Funk, Blaxploitation, Percussionといった異なるジャンルを織り交ぜるDJスタイルを確立していく。 1980年、彼にブレークスルーの機会が訪れる。"Cosmic"と同じく、今も尚語り継がれるイタリアの伝説のクラブ "Typhoon"でのレジデンツDJのオファーである。"Typhoon"は、北イタリアのGambaraという、とてもとても小さな街にあり、映画の撮影スタジオ跡地に、サウンドシステム、ライティングを取り付けたキャパシティー400人の箱だった。彼はレジデンツDJとして、毎週土曜日にプレイしていたが、月に一度だけ月曜日に、"Non-Stop-Music"というタイトルで、当時イタリアで全盛期だったDisco, Funkミュージックに、ドイツ産電子音楽、New Wave、Industrial Musicを織り交ぜ実験的にプレイした。 ここでのプレイでは、最先端な音を追求しながらも、彼自身リアルにやりたい方向性を探し出すプレイが出来ていたのではないのだろうか。

当時の北イタリアのラジオ局では、Beppe Lodaが"Typhoon"でプレイする最新の音楽をかけていて、そこに他のクラブが追いついていくと言う在り方だった。"Typhoon"は、北イタリアの音楽シーンをリードしていく中心的存在だったと言えるだろう。

あなたは想像する事ができるだろうか。 "Typhoon"は、普通の民家に隣接され、駐車場も無かった。400人のキャパシティーのクラブの外には、3000~4000人もの人々が、入るのを待っていたのだから。 一人出ては、一人入る。それは、クラブカルチャーにおける革命だったとも言えるだろう。 実は彼も1984年まで"Cosmic"のレジデンツをつとめている。Baldeliはマシーン、Beppeのプレイは人間味があると例えられ、両者はイタリアのディスコ界を代表するDJとして君臨していた。

Beppeのスタイルの特徴でもある、Afro Musicにシンセサイザーが加わり、サイケデリックを融合させ、新たなジャンルへと進化させるスタイルは、故Larry LevanやDavid Mancusoにも影響を与え、彼らも好んでプレイしたという。北イタリアの音楽シーンをリードし続けてきた伝説的なクラブ"Typhoon"と"Cosmic"は、同じ87年に幕を閉じた。最終日には、1万人ものファンが押し寄せ、皆、伝説的なクラブに敬意を払いお金を置いていったという。

現在もBeppeは多忙な日々を送っている。リリースに関しては、Spacemachine RecordingsからのコンピレーションCD、 DJ Harveyとのコンピレーション&コラボ作品のリリースが決まっている。

人の心を突き動かす音楽の本質を理解しているからこそ、彼の作り出す音は実にスペーシーにエモーショナルにフロアに届くのである。 今日も彼はレアなレコードを探し続けている。それは彼にとって、鼓舞し深奥の原動力ともなっている愛の出来事だと言えるだろう。








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